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人工中絶をテロ攻撃する原理主義者

カリフォルニア州のSan Bernardinoにある発達障害者を支援する医療施設で少なくとも14名が死亡する銃撃事件が発生した。射殺された容疑者はイスラム系の姓名を名乗っており、連邦捜査局(FBI)は、「テロ行為」として捜査を続けている。

米銃乱射事件を「テロ行為」として捜査、イスラム国に忠誠  2015年 12月 5日 10:43 JST ロイター

米乱射で14人死亡、容疑者の男女射殺 FBI「テロ排除せず」 2015年 12月 3日 16:16 JST ロイター

San Bernardino: couple die in gun battle with police after mass shooting Thursday 3 December 2015 11.15 GMT The Guardian

しかし、筆者にはもうひとつ別の事件も「テロ行為」に思われる。

コロラド州で人工中絶を支援する医療施設に宗教右派と思われる容疑者が、関係者を殺傷する事件が起きた。ここ最近、人工中絶された胎児の体組織を研究目的などで取引していることが発覚して、これに宗教右派や彼らを支持基盤とする共和党の反発が強まっていた。容疑者は"no more baby parts"と叫んだ、とロイター電にある。

Planned Parenthood says Colorado shooter opposed abortion  Sun Nov 29, 2015 7:20pm EST Reuters

Suspect in Colorado clinic shooting told he faces murder charge  Mon Nov 30, 2015 8:34pm EST Reuters

以前、連邦最高裁が同性婚に合憲判決を下した2015年6月28日のエントリーでも触れたが、

最も厳しく同性愛に反対するであろう宗教右派は、もはや同性愛者と同じコミュニティに住んではいない。お互いの性愛の嗜好によって棲み分けできるほどの土地は、いくらでも合衆国にはある。それどころか、リーマン・ショック後には人種・民族だけでなく、思想・宗教的相違と冨の偏在を背景とした生活様式ごとに棲み分けられたコミュニティが形成されている。

そして、宗教右派の過激派が妊娠中絶を行う病院や医師をテロ攻撃することがあるが、同性愛者は基本的にこの攻撃に晒されることがない。このため、宗教右派と摩擦が起きなくなっている。

さらに2015年11月27日のエントリーなどでも何度か取り上げているが、

移民したヒスパニックも急速にカソリックからプロテスタントへと改宗しているように、米国のプロテスタンティズムとその原理主義のダイナミズムは健在である。

わずか3年間ほどで約380~400万人がカソリック信仰から離れている。急速な改宗の理由は分からないとされているが、リーマン・ショック後の不況下、人工中絶を選択したメキシコ移民の女性を襲った自我崩壊の危機が一気呵成にカソリックからの福音派への改宗、もしくは棄教して無宗教化を促した可能性がひとつ考えられる。

自我崩壊の危機に晒されたメキシコ移民は男女問わず、中絶を容認しないカソリック的な精神世界に属しながら、中絶をせざるをない現実世界に直面したという精神的乖離に伴う自我の動揺を克服するためには、社会的自我を中絶容認か中絶反対のどちらかに合わせることで精神的自我を安定させる必要があり、そこから無宗教かプロテスタントになる選択肢があった。

同性婚の合憲判決、ヒスパニックの棄教と改宗、人工中絶医療施設へのテロ、すべてプロテスタンティズムとその原理主義のダイナミズムの作用と反作用によっている。
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No title

こんばんは。いつも読ませていただき感謝しています。

エントリーとは違うのですがこんな記事を見かけました。
”プロテスタントの方がカトリックよりも宗教組織として見た場合に個人主義的な色彩が強いという点である。生きていく中で困難にぶつかったとしてもカトリック教徒は凝集性が相対的に高い(結束が強い)組織(ないしは宗教コミュニティー)に頼ることができ、そのためもあって(何らかの困難にぶつかったとしても)魂がこの世にとどまる(自殺せずに生き続けることを選ぶ)可能性もそれだけ高まることになると考えられるのだ。”

同性愛や改宗、コミュニティの棲み分けにしてもこうした個人主義の隔絶が無力化している米国からみてとれるのはどこかシンボリックな気がするんです。なんというかバランスが取れなくなって振れが極端な傾向にあって何かが傾れ込んでいるといった印象を受けてしまいます。。

Re: No title

> こんばんは。いつも読ませていただき感謝しています。
>
> エントリーとは違うのですがこんな記事を見かけました。
> ”プロテスタントの方がカトリックよりも宗教組織として見た場合に個人主義的な色彩が強いという点である。生きていく中で困難にぶつかったとしてもカトリック教徒は凝集性が相対的に高い(結束が強い)組織(ないしは宗教コミュニティー)に頼ることができ、そのためもあって(何らかの困難にぶつかったとしても)魂がこの世にとどまる(自殺せずに生き続けることを選ぶ)可能性もそれだけ高まることになると考えられるのだ。”
>
> 同性愛や改宗、コミュニティの棲み分けにしてもこうした個人主義の隔絶が無力化している米国からみてとれるのはどこかシンボリックな気がするんです。なんというかバランスが取れなくなって振れが極端な傾向にあって何かが傾れ込んでいるといった印象を受けてしまいます。。

どうも返事遅れてしまいました。

象徴的(シンボリック)な意味合いが大きいほど、そこに込められる意味の振れ幅は大きくなるんですよね。

極端から極端へとあまりにもバランスを欠いた社会の保守化が進んだり、逆にリベラル化が進む。

すると、両者の党派性が強くなって、対立ばかり深まっていく。

これが世界中で起きている訳ですが、利権分配が減っているところではそのまま紛争に発展してしまうのです。
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