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“見よ彼の骸から真なるイラクが芽生える”

ハリウッド映画草創期の監督D・W・グリフィスの作品『国民の創生』(1915)は、近代映画の技法を完成させた歴史的意義を持つ名作だが、一方で南北戦争とその後の混乱の中から、クークラックスクラン(KKK)が誕生する南部側の歴史的認識を持つ問題作でもある。

南部人にとってアメリカ合衆国の国民国家としての合意は、北部人への敵意ではなく黒人に対する敵意を持つことで形成された、と南部出身のD・W・グリフィス監督は主張したかったのだ。

国民国家(ネイション)の国民が等しく抱くナショナリズムの醸成に用いられるのが偉大なる敵の存在である。朝鮮半島で、中華大陸で偉大な敵とは日本であった。五・四運動、三・一独立運動ともに中身は乏しかったが、ナショナリズムの出発点として記憶されている。そして今もなお日本は彼らにとっての偉大な敵としてナショナリズムの醸成を助力しているわけだ。それと同じ役回りをイラク戦争によってアメリカは演じることができたのだろうか。

米軍がイラク撤退完了 8年9カ月の戦争終結 2011.12.18 14:14 MSN産経

米軍撤退 イラクで不安と歓迎が交錯 2011.12.15 20:05 MSN産経

 【カイロ=大内清】イラクでは、間近に迫った米軍完全撤退について、歓迎と不安が交錯している。今も武装テロが頻発するなど同国の不安定要因は解消されておらず、根深い宗派対立を背景に、政治の混迷がさらに深める懸念がある。

 現地からの報道によると、米軍侵攻後、イスラム教スンニ派武装勢力の拠点となり、2004年には米軍による大規模掃討作戦が行われた中部ファルージャでは、市民数百人が米国旗を燃やすなどして「占領者・米国」の撤退を祝った。

 一方、マリキ政権の後ろ盾となっていた米国の存在感が低下すれば、一応は保たれていた国内の力の均衡が崩れるとの指摘もある。

 シーア派の隣国イランはすでに、米軍撤退を見越してイラク国内への浸透を図っており、政権にも参加する反米強硬派のシーア派指導者サドル師陣営などとの関係を強化。こうした動きが顕著になれば、少数派のスンニ派がいっそう危機感を強めるのは間違いない。

 汎アラブ紙アルハヤートによると、両派の主要民兵組織は米軍撤退後も武装解除しない考えを明らかにしており、国際テロ組織アルカーイダ系武装勢力などによるテロだけでなく、両派の衝突が再燃することへの懸念も強い。同国各地では現在もなおテロなどが相次いでおり、11月には市民187人が死亡している。

 中央政府に不満を持つ地方政府から連邦制移行を求める声明が相次ぐなど、政権の統治能力への批判も噴出している。


バース党は、アラブ民族主義を背景にシリアにおいて誕生している。けしてイスラム原理主義ではないことに注意。バース党結成当時は、エジプトのナセルを代表格としたアラブ民族主義が盛んだった。そのためバース党はイラクにおいても国王を倒しサダム・フセイン政権への道をならした。

バース党は、本質的に近代化政党である。
近代化政党の目標は、当然近代化にある。
近代化とは、近代国家をつくることにある。
近代国家をつくるとは、国民をつくることである。
国民とは、民族や出自に関係なく自分たちが同じネイションの一員であると自覚したときに誕生する。

外敵が侵入すれば、一体感を持つ国民は防衛戦を戦おうとする。すなわち国民としての一体感がなければ、国家ではありえず、他の近代国家が侵入してきたときに組織的な(いいかえれば近代的な)抵抗をすることができないのである。クルド人とサダム・フセイン政権に一体感などないことだけでも、それがわかる。フランスという国家がフランス民族というのがいるなど聞いたことはないが彼らはネイションとしての一体感を持っていることも付言する。

イラク戦争は、近代国家と近代国家未満の部族国家の戦いの様相を呈した。バース党は、王政打倒のイラク革命以後長い期間の治世においてもイラクを近代化することができなかったのだ。バース党は失敗した。ましてやただの独裁政治に堕してしまった。しかも皮肉なことにネイションとしての一体感のなさが独裁を助長してきた。政治的権利はつねに血みどろの戦いのなかから獲得されることは歴史の原則である。国民が存在しない以上、そのあがないの血は独裁の頂点にだけ集められるほかなかった。ネイションが民主主義の基盤として、いかに重要かもこれでわかる。そしてバース党は同様の失敗をその揺籃の地、シリアにおいても繰り返そうとしている。

イラクにいるクルド人であれアッシリア人であれ、スンニ派であれシーア派であれ、アメリカに対する反抗心のなかからイラク国民としての一体性を醸成すれば良かったのに。近代国家であれば、民主主義への道も約束される。それがどんな民主主義になるかはその国の風土次第であるが。

もしも本当にサダム・フセインがバース党の精髄を受け継いでいるのなら、美しく戦い美しく死ぬことが望ましかった、とも筆者は考えていたが、彼は刑死した。バース党の死に至る戦いの果てにこそ、バース党の念願であるイラク国民の誕生があると、当時は思っていた(その意味でリビア内戦におけるカダフィ大佐の死も、リビアにとって重要な要素となろう)。それこそバース党がなしえなかった、イラク国民創生への道であろうと。しかしどうやら未だ“日暮れて道遠し”のようだ。
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